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子ども期のトラウマと
複雑性PTSD

当事者が考える回復へのプロセス

複雑性PTSD当事者の家族としての思い

私が複雑性PTSDと診断されたとき、自分の身に起きていることをようやく明らかにできたと安堵する反面、これからどうなってしまうのだろうという不安に包まれました。
しかし、本当に幸いなことに、私には理解のある家族がいました。
特に妻は、一緒に悩みながらも寄り添ってくれ、そのおかげで少しずつ前に進む方法を見つけてきました。

回復プロセスでは、当事者の家族には何ができて、どんな気持ちになるのでしょうか。
妻にその思いを書いてもらいましたので、ご紹介します。

夫を理解しようと努める

夫が複雑性PTSDであるとわかってから、
出会ってからの20年間で、
私の中に生じた夫に関する様々な問いを、
少しずつ答え合わせしているような心境です。

夫が会社へ行けなくなってしまう事は、これまでの夫の様子から、
心のどこかで予測できていたように思います。
ですから、驚きも落胆も全くありませんでした。

私は、自身の子供を育てる際には育児書で様々な情報を得て、
その中で良いと思えるものを活用してきた経験があります。
同じように、複雑性PTSDを抱えている夫に対しても 、
大事な部分は知っておきたかったので、
まずは当事者である夫に「どんな時にフラッシュバックを起しやすいのか」を聞いて、
知識を蓄える事を目指しました。

私は専門家でもカウンセラーでもないので、
妻として思った事や、
夫が考えた事を徹底的に聞くという作業を続けています。

というよりも、それ以外できる事はありません。
私自身も夫との会話から、考えや気づきを得ていますから、
精神的に問題を抱えた人と接しているというよりも、
深くて答えの出ない話題を提示してくる人と、
日々、議論を深めているといった気分です。

この問題は、解決するとかしないとか、
そういう次元の話ではないと思うし、
夫を「そういう特徴を持った人」という風にとらえているからこそ、
逃げ出さずに一緒にいることができるのかもしれません。

自宅を安全基地にする

とにかく私が目指したのは、自宅を安全基地にすること。
そのために、夫の考えを頭から否定する事は絶対にしない事。
「家は安心な場所」だと思ってもらえるように努めました。

それでも、「地雷を踏んでしまった」という感覚は何度も味わっています。
この時が肝心で、私自身が失敗したと思わないようにもしています。
落ち込んでいる状態を夫に見せるのも
ネガティブな思考のスタート地点に立たせてしまう事になるからです。

地雷を踏んだなと感じたら、
「ごめん。考えが足りなかった。次はこういう風にするよ。」
と約束をして、それを守っていけばいいのです。
そうすれば、私自身の思考にも効いてきます。
これって、複雑性PTSDの当事者に限らず、
どんな人と接するときにも当てはまるような気がします。

夫の心の中の少年は、きっと子供時代に
近くにいる大人にもっと自分の話を聞いて欲しかっただろうな、と思うのです。
せっかく人生を共に生きる約束をしたのだから、
私が沢山話を聞いて、その少年を喜ばせてあげようと思っています。

自分を大切にすることが大切

ただ一方的に話を聞くだけじゃなくて、
私も包み隠さずに思った事、感じた事を話すようにしています。
私も人間ですから、
フラッシュバックを起している夫と向き合ったり、
夫の子供時代のエピソードに耳を傾け続けるのは、
精神的にとても負担がかかります。

ああ、詰まってしまったなと感じた時は、
読書や趣味のピアノに没頭して、
「他に何も考えない」を貫きます。

何気ない事でいいと思うのです。
今日の夕焼けはいつもよりオレンジっぽいなとか、
近所で魚を焼いているな、美味しそうな匂いがするな。
とか、意識をそこに向けると、泥沼思考から浮上できます。

それでも脱出できない時は、他の人に頼ってもいいと思います。
信頼できるカウンセラーや、だれでもいいので、
自分の気持ちを吐露できる場所を確保してください。

さいごに

現在、夫は少しずつ回復の兆しを見せています。
私たち家族は、お互いに認め合い、支え合いながら生きています。
未来に向けての希望をもち、共に成長していくことを目指しています。

私と同じ様に、家族に複雑性PTSD当事者がいる方々に
私たちの経験が少しでも役立つことを願っています。

おといあわせ