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子ども期のトラウマと
複雑性PTSD

当事者が考える回復へのプロセス

私の生い立ちと回復への道のり

なぜ生い立ちを振り返るのか

私は、特に社会人になってから、辛かった子どもの頃の出来事を振り返ることはほとんどありませんでした。
未来を見据えて生きることが大事だと思い、過去を思い出す必要はないと考えていたのです。

実際に、過去を封印した状態で20年近く過ごしてきました。
しかし、子育てや仕事で行き詰まりを感じ、精神的に追い込まれたとき、自分の「物事の考え方や認識のしかた」に問題があることに気づきました。
その原因を掘り下げてみると、子どもの頃の体験がトラウマとなり、それが日常的にフラッシュバックしていることが分かったのです。

なぜ「トラウマをフラッシュバックしている」ことに気づかなかったのか、今となっては不思議です。
過去の辛い出来事を毎日のように思い出しては「自分は劣った存在だ」と感じていましたが、そのことに意識が向くことはありませんでした。
日々の苦しさや生きづらさの背景にトラウマのフラッシュバックがあることに気づかないのは、ACEサバイバーの特徴かもしれません。

フラッシュバックの存在に気づいたからには、対処する方法を考えなくてはなりませんでした。
その最初のステップとして、どのような過去が今の自分をつくっているのかを振り返りました。
そして、「あんな辛いことを経験したのだから、自分の脳や心理状態が悪影響を受けて当然だった」と納得することができ、今の自分を受け入れられるようになったのです。

皆さんも、もし自分の過去を丁寧に見ていくと、もしかしたら「生きづらさ」の理由がわかるかもしれません。
しかし、決して無理はしないでください。
一人ではなく、カウンセラーなど専門家の力をお借りしながら過去と向き合うことを強くおすすめします。
子どもの頃の出来事を振り返ると、当時の辛い感情まで蘇ってしまうことも多いです。私も大変苦労しました。
1日も早く解決したいという気持ちは捨て、時間をかけて丁寧に取り組むことが大切ですし、その方が効果的だと思います。

なお、酷いことをした親の責任を追求したり、非難したりすることは、避けましょう。
親の存在を強く意識することになり、症状の悪化を招くことになります。
過去を振り返る過程で、一時的に親を恨むこともあります。私がそうでした。
でも、最終目標は「酷いことをされた」という事実だけを客観的に認めることです。これを絶対に忘れないでください。

親もまた、その親からACEsを受けていた可能性もあるのです。
この問題は、自分の親だけに集約できるものではありません。ですから、責任の所在を明らかにすることは無意味なのです。
大事なのは「誰が悪いか」ではなく、「自分が回復する」ことです。

【ご覧いただくにあたって】

このページには、私が子どもの頃に受けた逆境体験の内容が記載されています。
ご自身のトラウマ体験を想起させたり、新たな心の傷となってしまう不安がある場合には、閲覧をお控えください。

私の生い立ちと回復のプロセス

回復プロセスの一例として、私の生い立ちと回復までの経過を紹介します。

年齢と重要な出来事

年齢出来事
6歳両親が不仲になり、母からの暴言や暴力が増える。
7~9歳母からの日常的な虐待、暴言、暴力。
9歳不登校になる。
10歳両親が離婚。母が新しいパートナーと付き合うが、すぐに別れる。
その後も別のパートナーとの交際が続く。
10~11歳母からのネグレクトと幼いきょうだい達の世話、パートナーからの暴力。
誰からも養育されない状態が続き、何も食べない日もある。
夜通しの世話を任され、体調不良に。
家庭内暴力が日常化。
11歳暴力から逃げるように母が失踪。
祖母と父に養育される。
12歳母が戻り、家出中に産まれた子どもとともに生活を再開。
母と祖母に養育される。
12~14歳新興宗教の教育。
祖母から宗教的な教えを強要される。
14歳母が新しいパートナーと付き合い始め、祖母が追い出される形で家を出る。
15~16歳母のパートナーからの日常的な嫌がらせ
17歳母とパートナーが別れる。
21歳父が自殺。
23~24歳 祖父の介護。
認知症の祖父と同居し、介護を担当する。学業との両立が困難に。
ヘルパーさんに協力してもらう。母はほとんど関与しない。
24歳祖父が死去。
25歳母が私の学費や貯金を使い果たしていたことが発覚。
学費未納による退学の危機。
実家を離れると同時に結婚。
28歳母からの借金の申し出が続き、ストレスで失声症になる。
29歳母と絶縁する。
34歳子どもが生まれるが、感情のコントロールが難しく育児ができない。
35歳家事や育児ができず、妻との関係が悪化する。
41歳仕事中に思考停止し、休職する。適応障害と診断されるが回復せず、退職。
42歳複雑性PTSDであることが判明。治療を始める。

私が歩んできた回復へのステップ

時系列順に表記しています。
下表のステップを歩むのに、約2年間かかりました。

内容
仕事中の思考停止をきっかけに、精神科を受診。
適応障害と診断されて休職。
休養、服薬を続けても回復の兆しがないため、自分なりに精神疾患のことを調べる。
複雑性PTSDとACEsのことを本で知る。
複雑性PTSDの症例が自分の症状と一致することが分かる。
家族に調べたことを話し、理解を得る。
生い立ちや症状について医師に相談し、複雑性PTSDと診断される。
いろいろな薬を試してみるが、効果のある薬が見つからない。
カウンセリングを開始(週1回)。生い立ちを整理する。
カウンセリングのたびにフラッシュバックが頻発していたが、回数を重ねるうちに感情の乱れが小さくなっていく。
ジャーナリング(日記)を始める。
この記録により、フラッシュバックを起こしやすい状況を把握できるようになる。
フラッシュバック対処法を考えて、少しずつ実践しはじめる。
服薬によりフラッシュバックの頻度が下がり、生い立ちを振り返りやすくなる。
ジャーナリングの記録が薬の選定にも役立つ。
感情や感覚が乏しいことに気づく。
マインドフルネスの実践などにより、感情・感覚に向き合う練習をする。
自分を体験を、同じ苦しみを抱えている人のために役立てたいと考えはじめる。
生い立ちや体験談を文章で書けるようになる。
その内容を整理して、WebサイトやSNSで発信しはじめる。

まとめ

生い立ちを振り返ることにより、養育されるべき年齢で虐待やネグレクト、ヤングケラーを体験し、その後も母のパートナーからの暴力や嫌がらせなど、ACEsに該当する経験をしていたことを確認できました。
こうした出来事は「嫌な思い出」として記憶していましたが、それが突然蘇ることがトラウマのフラッシュバックであることを知り、複雑性PTSDの治療を開始することができました。

あわせて、子どもの頃の極貧生活や新興宗教の教えなども、私のスキーマ(物事の認識のしかた)の形成に影響が及んでいたことも分かりました。
なぜ自分が周囲の人と違うのか、なぜ自分が周囲の環境に溶け込めないのか、どうしてこんなに生きづらいのか…ずっと分からなかったことが氷解しました。

このページでは、ACEsを体験して複雑性PTSDを発症し、回復に取り組んだ実例として、私の実体験を紹介しました。
ACEsやトラウマの内容、そして複雑性PTSDの症状は人によってさまざまですので、回復のプロセスも人によって異なると思います。
ただ、自分自身のことを少しずつでも知ろうとすることが、回復につながるのは間違いないだろうと考えています。

おといあわせ